住所:茨城県取手市井野4417-1
e-mail:ichiro429nishimura@msn.com
Blog:西村一郎活動日誌

当サイトは私西村一郎のルポ及び著作物、ボランティア活動等の紹介ページです

ルポルタージュ
 地域ぐるみで子どもの食を守る―熱塩加納(あつしおかのう)村の挑戦― 


(財)生協総合研究所 研究員 西村 一郎


・有機農業の村づくり
 「消費者の方たちの強い要望を受け、お米の低農薬栽培を開始したのが昭和55年で、その後に有機農業研究会『緑と太陽の会』を発足させ、本格的な有機無農薬米の栽培へと拡大して20周年を迎えます。
 当時はまったくの手探り状態で、病気や日照り不足などが重なり、三分作とか収穫の無い水田まで現れました。それでも取り組む農家が増えていったのは、毎年のように消費者との交流をしたり、環境や農薬などの勉強をし、農業の原点である自然や環境を守る大切さに気付いたからです」
 99年10月30日に開催となった熱塩加納村有機農業20周年記念交流会において、主催者を代表して原源一実行委員長のあいさつがあった。20年もの長い取り組みをかみしめるかのように、いくらか緊張した口調である。すでに『緑と太陽の会』は、96年におこなわれた第1回環境保全型農業推進コンク-ルにおいて、みごと農林水産大臣賞に輝いていた。
 参加者に配布された印刷物には、年度別に有機農業の作付け面積が一覧表となっていた。それを見ると1999年は、全体の水田面積397haのうち55%にあたる220haが有機栽培となっている。まさに有機農業による村づくりである。
 会場のある熱塩加納村は、福島県の会津盆地でも最北端の山形県寄りに位置し、近くに磐梯朝日国立公園の雄大な景色が広がっている。
 式典のおこなわれている村民会館大ホールには、生産者や消費者が約200名ほど参加し、壇上の話に耳を傾けていた。消費者のなかには、地元のコープあいづだけでなく、遠くは京都生協や千葉市民クラブ生協などの代表者も加わっている。それだけ生協との関わりも深い。
 来賓のあいさつに続き「有機農業の今後と環境問題」と題し、神戸大の保田茂教授の記念講演がおこなわれた。
 「有機農業という言葉ができたのは1971年のことでして、そのころは生産者や地域の理解もあまりありませんでした。こちらで20年も有機農法が続いたのは、第一に生産者が技術力を強化したこと、第二に消費者の理解と支援があったこと、そして第三に地域の指導機関の協力があってできたことだと思いますね」

 ていねいに分かりやすい話がすすんでいく。新農基法などにも触れ、最後に自然環境のとらえ方として、大気(空気)、水、土、光、音、生物、食物を関連づけることの重要性を強調されていた。
 その後で、産地と消費地からそれぞれの発言がいくつか続く。まずは生産者からの話である。一反当たりわずか3俵しかとれず、このままやっていけるのか不安だったこと。有機農業を小学校で説明するのに、生徒に分かりやすく身近なウンコを例にしたこと。いくつかの壁に突き当たったとき、生産者と消費者の交流で1つひとつ乗り越えてきたこと。どれも今となっては、本人たちもなつかしそうにときには笑いながら話しているが、その当時はきっと大変な思いをしたことだろう。
 休憩をはさんで第二部の交流懇親会となる。会議用のテーブルで正方形の島をつくり、そこに地元の女性たちの準備した料理が所狭しと並ぶ。大きな磁器やガラスなどの容器に各種野菜の煮物や天ぷらがあり、さらに刺身や肉などもある。見ただけでお腹が一杯になりそうなボリュームで、倍の人数がいても食べきれないほどの量があった。
 懇親会が開会となり、乾杯につづいて参加者がのどを潤してしばらくすると、舞台ではそろいの着物をまとった熱塩加納村民舞保存会の人たちによる踊りがあり、また地元の生産者から民謡が披露されていく。そのつど拍手は会場をつつみ、ビールビンやとっくりを下げた人の動きが激しくなっていくにつれ、会場の熱気はますます高まっていった。

・まごころ野菜の会
 懇親会で私の座った同じテーブルで、年輩の女性3名が近くにいたので話を聞く。それぞれお孫さんがいるとのことで、髪に白いものも見え60歳はこえているようだ。3人とも有機無農薬野菜を栽培しているので、今日の集会に参加している。ある人が、「私たちは、まごころ野菜の会に入っていんだよ」と明るく話してくれた。初めて聞く言葉なので、私はまごころ野菜の会について詳しく聞くことにする。
 「平成元年から始めたんだけど、毎年4月に農家の保護者を中心にして、無農薬の野菜を出すことのできる人を集め、まごころ野菜の会をつくってきたんだ。私たちは、お金のためではないんだからし。お金のことは考えねで、子どもや孫たちに、私たちのつくった新鮮で安全な野菜を食べさせてやっちと思ってのことだわ。だからまごころ野菜といってんだし」
 普通の農家では、換金するための大量少品目の作物と別に、自分の家族で利用する少量多品目の野菜を作っていることが多い。その家族用を大目に栽培し、隣近所や親類などに分配することも珍しくない。そうした野菜で有機無農薬のものを、学校給食の食材に提供しているわけだ。それも学校が必要とする量だけを、その日の朝に各自が届けるというのだから、よほど生産者の強い理解と協力がなければ成立するシステムではない。
 正式の名称は「熱塩小学校まごころ野菜供給の会」で、後日に学校を訪ねたとき詳しい資料をもらうことができた。それによると、99年度で扱った食品は68種類ある。キャベツや大根などといった季節ごとの代表的な野菜はもちろんのこと、しいたけ、打ち豆、切り干し大根、みそ、しょうゆ、きび、あわ、そば粉、梅干しなどまで並んでいる。郷土に根付いた伝統料理も学校給食に取り入れていることがよくわかる。
 4月に協力の可能性のある生産者に学校へ集まってもらい、まごころ野菜の会の主旨を説明し、賛同してくれた人から月別に年間の「まごころ野菜供給予定表」を提出してもらう。それに基づき、給食の献立ができる25日前後に、翌月の1カ月分をまとめた注文書が各生産者に届く。すると登録してある各生産者は、前日の夕方か当日の朝8時45分までに、泥などを取り除き、すぐ料理できる状態にして野菜を納品する。雨が降っても雪が降っても、各生産者は約束をきちんと守っている。そのときの納品書を学校で集計し、翌月の15日に各生産者の農協口座に振り込む。
 「子どもや孫が喜んでくれると、もうそれだけで私たちはうれしくなるんだからし。注文がなくても、たとえば西瓜がたくさんとれると、みんなに食べさせでえと持っていくんだよ。150人もの子どもがいるもんだから、かなりの数になるんだげんじょ」
 もちろん無料のボランティアである。村の人たちの支えがなければ、とてもここまでできることではない。楽しそうに話す女性たちの笑顔が印象的であった。

・地元の有機無農薬のお米も給食に
 ここの学校給食では、主食のお米にもこだわってきた。1988年(昭和63年)のことである。
 「村で生産しているさゆり米を、子どもたちに食べさせたい」
 そうした村の生産者の願いが実現し、県より特例として認可され、翌89年(平成元年)の5月より政府の補助付きで地元の「さゆり米」による週5回の米飯給食がスタ-トになる。
 ところが3年後になって県の特例が急にストップとなり、さゆり米が給食から消えようとした。そこで92年(平成4年)の4月からは、村と農協の補助によって継続されている。
 このさゆり米については、交流会の場で元農協営農部長の小林さんから話を聞いた。農協に勤めつつ、自分でも稲作をしていたとのこと。
 「以前はこの村でも、近代的な方法として、化学肥料や農薬にたより、少しでも量を多くしようとがんばってお米は売れたし、利用者も喜んでいました。
 それでも、だんだん疑問をもつようになってきたんですよ。化学肥料や農薬を使えば使うほど、土や水といった環境を悪くしていきます。何の心配もなく食べることのできる作物を、この村では作りたいと思いはじめました。そうしたころ、生協など安全性にこだわる消費者と出会い、『食糧はまさに生命』であることを私たちも学んだのです。
 そこでまず低農薬のお米を栽培することにし、それ以降は試行錯誤を積み重ねてきました」
 資料を見ても、その試行錯誤がよくわかる。有機農法を開始して1年目と2年目の1980年(昭和55年)と81年(昭和56年)は冷害にあい、82年(昭和57年)は害虫のウンカが大発生し、83年(昭和58年)は長雨などにあい、それぞれ生産者にとって厳しい不作となっている。
 自然の環境変化へ効果的に対応する有機農法が当時はまだ開発されてなく、それまでの化学肥料や農薬にたよった米作りに比べると大幅な減収となっている。それでも毎年のように有機農法でお米の栽培に挑戦する農家は増加し、作付け面積も増えていった。
 「平成2年からは、水田の草をとるためにアイガモを入れましたよ。はじめはわずか3戸でしたが、だんだん増えていって、平成8年には20戸で1750羽にもなりました。アイガモは飛ばないので便利ですが、一反当たり10羽が丁度で、それより少ないと草が残るし、逆に多すぎると稲を踏み倒してしまいます。
 また平成8年からは、鯉を使っての除草もはじめてみました。高低差のある水田では鯉の利用ができないなどの欠点はありますが、いろいろと工夫しています」
 もともと農業は、自然環境や生物を利用しているので、工場で加工食品を製造するのとはまるで異なる。事前に決めたマニュアル通りにはすすまず、その場その場で臨機応変に対応しなくてはならないことが少なくない。
 
・食育にこだわる学校給食
 「おいしい給食、いただきます!」
 熱塩小学校の1階にある給食室の前の廊下では、先生に引率され白衣を着た各クラスの給食当番の児童たち10名ほどが、一列に並んで大きな声をあげて礼をする。
 「さあ、どうぞ」
 給食室の中から調理人さんの声がすると、当番の子どもたちは、廊下と調理室の間の壁にセットされている棚から、自分のクラスを書いた大きな容器に入っている料理や皿や牛乳などを取り出す。
 各自が分担の容器を手にすると、列をつくって教室まで運ぶ。すると、すぐにまた別のクラスの一団がやってきて、できたての料理やご飯を同じように運んでいく。
廊下の壁際には木製の机を置き、「きょうの給食でつかった、まごころやさいとむらでとれたたべもの」の大きな表示があり、お盆の上にいくつもの野菜などが展示してある。その各野菜の横には、小さなカードがあり、以下のような説明が書いてあった。
「かぼちゃさん のくらのかいしげまさん」
「ブロッコリー うつののえんどうまさこさん しもねぎしのえんどうせつこさん」
「玉ネギ うわののたかはしゆうこさん」
「にんじん 3ねんのあらいえりこさんのおうち」
「うちまめ 6ねんのみつはしあさみさんのおうち」
「こめ きょうのきゅうしょくでたべるさよりまいは、はりゅうの『はなみてつみさん』がつくってくださいました」
 そうした野菜や表示を見た子どもたちは、同じ村に住んでいる人だから、名前を見ればすぐに生産者の顔が浮かんでくるのかもしれない。顔のわかる知っている人が苦労して栽培した作物であったり、もしくは自分の家で作った農産物であれば、愛着もきっと強いことだろう。美味しく感じたり、食べ残しが減少することも期待できる。少なくとも食事のときの話題が広がることはまちがいない。

・ 食は命
 こうした学校給食にこだわってきたのは、学校栄養職員の坂内(ばんない)幸子さんである。資格をとってから病院栄養士として1年間勤務した後、学校に来てから子どもたちが食生活の正しいあり方を身に付けて欲しくて、学校ぐるみで様々な試みを自ら率先し実施している。その坂内さんから話をうかがった。
 「ここでは学校の中に調理室のある単独方式なので、子どもの顔がよく見えます。気軽に話してきたり、ときには子どもが帰るときに食器洗いを手伝ってくれることもあるほどです。
 また、ここの地域に住んでいる人の、健康や食の安全に対する意識が高いこともあって、普通よりも安い値段で無農薬の野菜を納めてくれますし、それも雨の日でもわざわざ学校まで運んでくれます。1回運んで数百円ほどにしかならなくても、快く協力してくれます。
 このため私にとっては、思いのままの学校給食がこちらに来てできるようになったのです」
具体的には、以下のような取り組みをしている。
 一つ目は、より安全な食べ物を子どもたちが口にするため、独自の「おやつあんぜんカード」の発行である。名刺大の大きさで、表と裏には図1のように表示されている。これを子どもたちに持たせると、お店の商品が売れなくなると小売店からクレームのついたこともあるらしいが、まわりから支持をされ定着してきている。
 二つ目は、様々な食の体験をすることである。まず学校で無農薬の米作りに取り組んでいる。田植えからはじまり、稲の周りの草を取る田車押し、腰をかがめての手取り除草、秋になれば黄金の穂の刈り取り、そして脱穀し精米してご飯になる。このことによって、お米を作る大変さと同時に喜びも実感できる。
 次は児童も参加した給食づくりである。校外学習などでつくしやイナゴなどの収穫物があったときは、それを給食で利用し、また、グリーンピースの皮むきやサヤインゲンの筋取りなども児童がおこなうこともある。そうした関わりにおいて、食材そのものへの理解や愛着も強まっていく。
 あわせて、伝統に基づいた食文化を大切に継承するため、給食において会津の郷土食をはじめ団子さしと団子汁、七草ごはん、お月見給食なども導入している。
さらには親子料理教室を開催し、親子で楽しみながら調理してコミュニケーションを広げてきた。
 「保護者の中から学校給食に協力できる人を募り、申し出ていただいた9名の方々で『学校給食協力委員会』を結成し、全校会食のときにテーブルセットをしていただいたり、給食についていろいろな意見を出していただいたりしています。ある秋の日のこと、『家の栗がたくさんとれたので、給食で栗ごはんを食べさせてほしい』との申し出がありました。でも『皮むきができないので栗ごはんは無理です』とお断りしたところ、協力委員の方々が集まって10kgもの栗の皮をむいてくれ、おいしい栗ごはんが実現しました。それまでは冷凍の栗を使っていたものだから、子どもたちはおいしくて大喜びしたものです」
 坂内さんは、食は命であることを子どもたちに理解してもらうため、食教育にも力を注いでいる。献立予定表には、低学年でも興味をもって読むことができるように、イラストをたくさん使い、あわせて栄養素や添加物などについてわかりやすく説明している。
 「給食時間にあわせて各教室をまわり、15分から20分ほどですが、食べ物や健康のことなどについて児童たちに話をすることもあります。短時間に大切なことを頭に入れてもらうため、作ったドラエモンを黒板にはりつけ、ポケットから紙にかいた野菜を取り出し、子どもたちが楽しみながら覚えることができるような工夫もしています」
 そう言って坂内さんは、厚紙で作ったドラえもんを見せてくれた。裏に磁石がセットしてあり、これで黒板にはることができる。胸の大きなポケットには、かわいい人参やピーマンなどがいくつも入っており、ドラエモンの替え歌を歌いながらその野菜をポケットから取り出す遊びであった。子どもの目線に立って、楽しい食教育を実践している。
 他にも、健康や食に子どもの関心や興味を引きつけるため、学校ではいくつかの工夫をしている。
 その1つが、丈夫な歯と口をつくる取り組みである。廊下の壁に、虫歯のない子どもを表彰した「ピカピカ賞」が掲示してある。また子どもたちの作った歯に関する次のような標語もあった。
 「ごちそうも じぶんのはだから おいしいの  1年・わたべもえ」
 「じぶんの歯 としをとっても じぶんの歯  3年・鵜名山俊」
 メニューにも、歯を丈夫にするための工夫を坂内さんは取り入れ、海草や大豆や煮干しなどの食材を入れて噛む料理を加えている。
 「子どもたちから、月に1回『かみかみ献立』を出してもらい、その料理を提供したり、時々は秋刀魚やいわしを出し、半分食べた人には50点、骨だけ残して全部を食べた人には100点、さらに骨まで含めて全部を食べた人には200点あげています。こうして、よく食べた子どもはほめてあげ、歯と口をより強くするように努力させています」
 いろいろな創意と工夫で、子どもたちの食と健康を守る具体的な取り組みが、地域と学校の協力でおこなわれている。

| HOME | 食育(論文) | 平和・環境(論文) | 街づくり・その他(論文) |
HOMEへ戻る