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協同の実践
「援助から共生へ」
-シャプラニール=市民による海外協力の会の取り組み-
(財)生協総合研究所 研究員 西村一郎
・ シャプラニールを訪ねて
JR高田馬場から早稲田大学へ向かう早稲田通りの大学寄りには、1冊100円などの単行本が並ぶ古本屋や、500円ほどの安い定食をサンプルケースに飾ってある食堂などの、古くて小さな建物がいくつも並んでいる。
その通りから小さな路地を入った場所に、キリスト教の関係者で運営している早稲田奉仕園の敷地があり、いくつもの建物が並んでいる。その中庭に、赤いレンガで造った古風な教会があり、その地下に訪ねるシャプラニールの東京事務所はあった。地下への入り口がわからずに建物の周囲を見渡していると、その協会の歴史を書いた立て札が目にとまる。それによると、アメリカ人の篤志家が寄贈して関東大震災では崩壊せず残ったというのだからもう80年以上はたっていることになる。
協会の横にシャプラニールの小さな表示を見つけ、木造の階段から降りていく。壁面も全てレンガで、通路にある木製のベンチなども年代を感じさせる。階下のドアが開いている部屋から、若い女性たちの楽しそうな会話が聞こえてきた。バングラデシュのカラフルな手工芸品や服などが入り口付近に見える。側に寄ると、いろいろな小物が並んでいた。布製の袋、コースター、きんちゃく、壁掛けなどがあり、他にも金属や木などを使用した民芸品が棚や壁面に置いてある。まるでバザーの会場にいるようであった。部屋の奥には、大きなダンボールが積み上げてあり、その一角で女性たちが話しながら値付けなどの作業をしていた。
事務局の机も同じ部屋にあるのかと思ったが、そこは倉庫機能だけで事務所は別の部屋を使用しており、そちらへ案内される。壁面や天井もレンガのむき出しになっていることは同じだが、こちらの事務所にはパソコンをのせた机がいくつも並び、周囲には書類をファイルした棚などもある。広いテーブルでは、若い男女の数名が封筒に書類を入れるなどして発送作業をしていた。
事務所の奥にある小さな打ち合わせの部屋で、シャプラニール事務局長の坂口和隆さんから話を聞く。1991年にシャプラニールに入った坂口さんは、2002年から事務局長の要職につき、年に2回は現地を訪ねるなどして動き回っている。
・ 前身は援助が中心
まずはシャプラニールの概要について坂口さんの説明があった。
「1972年に、今でも世界の中で最も貧しい国のひとつといわれているバングラデシュの援助からスタートしました。当時は独立して月日も浅く、復興のための組織であるバングラデシュ復興農業奉仕団が援助をしていました。そこに関わった日本の青年が、帰国してからバングラデシュの人々にとって本当に役立つ援助とは何かを考え、継続して活動するためにヘルプ・バングラデシュ・コミティ(HBC)を立ち上げたのがきっかけです。ヘルプですから、まさに援助でした。
この頃は、あくまでも援助をしてあげることが、大きなミッション(使命)であると思っていましたが、その後に長年活動していると、いろいろなトラブルが発生し、今は共生を私たちはキーワードにしています」
日本のように経済的に豊かな国から、バングラデシュのように貧困な中でくらしている人々を援助することは、多くの団体や個人も行なっている。我が国にある約400のNGOの多くも、テーマは異なるにせよ援助が中心である。これからも日本からいわゆる発展途上国への援助する金額や団体は増えていくことだろう。
ところが、シャプラニールの前身であるHBCが援助をおこなっているときに、思いもかけないトラブルがいくつか発生する。
「子どもたちに文房具を配ったことがあります。鉛筆やノートが不足して勉強するのに困っているだろうと考え、小学校で子どもたちに手渡しました。子どもたちは喜んで持って帰りましたので、きっと勉学の向上につながるものとスタッフは考えたものです。
ところが驚いたことに、翌日の村のバザーに前日プレゼントした文具が一斉に並んだのです。文房具をお金に換えて、村の子どもや家族にとって食べ物などもっと大切な品物を手にいれようとしたわけです。
一方的にこちらから援助してあげることの限界を教えられました」
同じ問題をはらみ、もっと深刻なトラブルも発生する。「4.17事件」と内部で呼んでいる大変なことが起きた。
当時は、村人と共に汗を流すボランティアとして、日本人のスタッフが村でくらしていた。大金を持った日本人が村に入り、それまでバランスをとっていた構造にヒビが入り、その日、日本人スタッフは村人に襲われて頭部に重症を負い、持っていたお金を奪われてしまう。どうにか命は取り留めたが、再び襲われるのではないかという恐怖心は強く残り、結局そのスタッフは村を離れて帰国するしかなかった。
「日本人がボランティアを募って、現地で植林や井戸掘りをすることがよくあります。参加した日本人たちの、あくまでも困っている人たちを援助する純粋な気持ちに偽りはないのですが、結果として植林や井戸掘りをする現地の人たちの仕事を奪っているという側面もあるのです」
なかなか難しい問題である。善意でしていることが、現実には逆の効果を及ぼしてしまうことはよく世間であり、そのことが新たなトラブルへと発展する危険性もある。
・ 援助から協力、そして共生へ
ではそうした援助の限界を、シャプラニールはどのように克服していったのだろうか。坂口さんの話が続く。
「トラブルや失敗から私たちは、村人自らが生活を向上させる主役であり、私たち日本人は、あくまでもそうした村の人たちの自立をお手伝いするものでしかないことを学びました。つまりNGOとしてのマネジメントを日本人はしますが、あくまでもマネジメントの範囲に限定し、現地のことは現地の人たちに任せるということです。
そこでそれまでの活動の理念を、援助から協力に切り替え、あわせて名称をシャプラニール=市民による海外協力の会としました」
1983年のことであった。それまで交流・援助という考え方から、協力という姿勢を打ち出した。より専門性を高め、現場のことは現地スタッフが主導していく形である。現地の信頼できるNGOとのパートナーシップを結ぶ形もこの頃始まった。なお、シャプラニールとは、バングラデシュの言葉で「睡蓮の家」を意味する。当時日本から現地に入っていた女性スタッフのあだ名が、バングラデシュの国の花である睡蓮と呼ばれており、その睡蓮のすむ家がNGOの新しい名称になったわけである。
その協力型が2000年に入った頃から、今度は共生をキーワードにした取り組みへとさらに発展しつつある。
「まだ協力と共生の明確な区分けができているわけではありませんので、新たな段階の模索をしているところです。生活者という視点では先進国の日本でも、発展途上国のバングラデシュでも同じです。このため環境問題や子育てやコミュニティづくりなどについて、日本からバングラデシュへ教えるだけでなく、共通の話題としてお互いが相手から学び合うことができるはずだと考え、共生をキーワードとしたのです」
確かに発展途上国から日本が学ぶべきことはいくつもある。例えば物質面で先進国は優れているかもしれないが、そのことによって逆に人間として生きる力を弱くしている側面がある。物を大切にする気持ちや、仲間とお互いに助け合っていこうとする心などである。残念ながら日本では崩壊しつつあることが、バングラデシュでは活き活きと展開されていることもあり、バングラデシュから日本が学ぶことも少なくないだろう。
こうした30年をこえる取り組みの中で、坂口さんは海外活動の基本方針として次の3点をあげていた。
1、 当事者主体の原則
問題の当事者である住民があくまでも主体であり、自ら問題を解決すべく活動の立案、実施、評価を行うプロセスをシャプラニールは支援する。
2、 民間の問題解決能力を重視
住民が主体となって貧困や差別の問題を原因までたどって解決するには、社会への継続的な働きかけが求められ、それを可能とするだけの能力を住民自身が身に付けることが必要。
3、 現地NGOや住民組織を側面支援するパートナーシップの重視
現地のNGOや住民組織が取り組む活動を、側面支援する促進者としての役割りや、現地NGOのスタッフや活動地の住民たちによる他の地域で類似の活動を行う人々との経験交流や連帯を促す媒介者としての役割り。
長年の活動から、他のNGOにとっても大変に教訓的な基本方針をシャプラニールは導き出している。
では、これらの基本方針にそって具体的にシャプラニールが行っている海外での活動をみてみよう。
・ 広がるショミティ
バングラデシュの農村における貧しい人々を対象にした相互扶助グループのショミティを、シャプラニールはこれまで応援してきた。坂口さんの説明が続く。
「もともとバングラデシュには、相互に助け合う組織はありませんでした。そこで80年代に地元のNGOが工夫し、グループ単位の取り組みとして考え出した仕組みです。ちなみにショミティとは、地元バングラデシュの公用語であるベンガル語でグループを意味します。
この活動の基本は、定期的にみんなが集まっておこなうミーティングと、月に20円から100円といった小額でもみんなが出し合う共同貯金です。
1つのショミティは15人から20人ほどで、男女別で運営しています」
かつて日本の各地で運営されていた講のようなものである。シャプラニールが作成したビデオには、ある女性のショミティの取り組みが紹介されていた。まず貯金である。日本で20円といえばごく小額だが、収入のほとんどないバングラデシュの女性にとっては、苦しい家計から捻出するのは大変なことである。映像でも、大切に折りたたんで持ってきた小額のお札を服から取り出し、しわを伸ばしながら係りに渡している姿があった。
集めたお金は、仕事ができず食べ物がなくなった家庭や、家族の病気や怪我などで急に費用が必要になったときなどに、低利で貸し出しをしてもらえる。他にも子牛を育てるなどの事業を起こしたり、や小さなお店を開業するときの資金にしていた。こうした誰にいくら貸し出すかについても、ショミティの全員で協議して決めている。
このようなショミティの活動としては、成人の識字学級、児童教育、保健衛生環境の改善、収入向上のための融資などがある。
まず成人向けの識字学級である。バングラデシュでは、成人男性の50%、女性にいたっては70%が読み書きすることができず、農村ではさらにその割合が高い。このため読み書きや簡単な計算を学ぶことにより、日常生活を便利にすることができるし、さらにはショミティの活動もより活発化する。言葉がわかるようになり、他の村に嫁いでいった娘との手紙のやりとりを喜んでいる母親の姿がビデオにはあった。そこでシャプラニールでは、バングラデシュ識字学級基金を設けて支援している。
保健衛生環境の改善では、ショミティの中から保健ボランティアを育成し、保健教室の開催や識字学級を通して保健衛生について学ぶ。また清潔な飲み水を確保するため、毎年のように手押しポンプの設置や、寄生虫とか伝染病を防ぐためにも簡易トイレの普及をすすめている。ところで井戸やトイレについてシャプラニールから無償で提供するのでなく、安価ではあるがあくまでも現地の人たちに購入してもらっている。その方が井戸やトイレを皆が大切に使い、それだけ長持ちをするとのことであった。
収入向上のための融資では、共同貯金が増えるとそれを資金としてショミティでは、子牛や子羊を育てて大きくして売るとか、共同で農地を借りるなどして小さな事業を行う。最初は小さな規模で失敗と成功を繰り返すうちに、事業のコツや共同作業の効果的な方法を学び、基金も少しずつ増えていく。
こうしたショミティは、2003年3月現在で779ヵ所にも広がっている。
しかし、まだ手放しで喜ぶことはできず、いくつかの課題が残っていると坂口さんは説明する。
「識字や井戸やトイレなどのサービスを提供すると、なぜか解散してしまうショミティがあります。
または、障がい者や老人や夫を亡くした女性など極貧層は、小額の共同貯金すらできずショミティのメンバーになることができません。こうした今のショミティ活動から取り残された人々を、どのようにしていくのかも大きな問題です」
こうしたより現地に密着した活動をするためシャプラニールでは、地域活動センターの現地NGO化をすすめ、6ヵ所のうちこれまで3ヵ所で実現している。
このような課題はまだまだ残されているが、バングラデシュにおける農村の自立に向けて、ショミティは大きな役割りを発揮している。
・ ストリートチルドレンの自立を支援
バングラデシュにおけるシャプラニールのもう一つの大きな取り組みは、ストリートチルドレンの自立を支援していることである。
世界中で数千万人いるといわれているストリートチルドレンは、都市問題が急速に深刻化しているバングラデシュにおいても、大きな社会問題となっている。首都のダッカだけで、国連の推定によれば路上でくらすストリートチルドレンが21万5000人いて、そのうち10万人が女の子とのことである。
ストリートチルドレンの多くは、小商い、荷運び、靴磨き、ごみ拾い、そして売春などで現金収入を得ているが、路上で寝起きするため大人から危害を受け怪我をしたり、不衛生な環境で病気になるケースがあり、生活は安定していない。また大半が学校に通っていないため、教育問題も発生している。
そこでシャプラニールは、現地のこのテーマで実績があるNGOをパートナーとし、次のような内容でストリートチルドレンの支援をおこなってきた。
まずはストリートスク-ル(青空学級)である。バスターミナルの建物を使い、毎日の午前と午後の2時間で、約40名の子どもたちに簡単な読み書きや計算を教えている。授業といっても、手作りの教材を使ったゲーム中心の楽しいもので、教育的な効果よりも大人に対する不信感を和らげることがねらいとなっている。
次はストリートチルドレンがいつでも利用できるドロップインセンターの運営である。1日に140人から150人が来て、休息や娯楽、シャワー、給食、さらには初等教育の開設や軽い怪我の治療などのサービスを受けている。
他にも、リキシャ修理や仕立て業、ブロックプリント、看板作り、垂れ幕作りなどの職業訓練がある。あわせて医師や看護婦のいるクリニックを開設し、簡単な病気や怪我に対応し、ここに入院したときの薬代・食事・宿泊代などは無料にしている。
・ 国内での支え
シャプラニールはバングラデシュ以外にも、1999年からネパールの貧しい農村を対象とした取り組みも展開し、海外の日本人スタッフ3名、それに現地スタッフをバングラデシュでは70名、ネパールでは1名おき、約7万人の自立を支援しいている。
そうした海外での活動を、国内で支えているたくさんの人々がいる。東京の事務所では12名のスタッフが働き、そこには200人から300人ものボランティアが協力している。さらには全国で31ヵ所もの地域連絡会があり、その中には生協に関わっている人もいるという。こうした各地で協力してくれている人たちは、全体で数千人になるとのこと。会員は2800名で、寄付者が1500名もいる。
ところで国内の活動の第一は、「いちばん身近な海外協力」をキャッチフレーズとしたクラフトリンクである。バングラデシュとネパールの人々が作る手工芸品を日本で販売し、生活の安定することを応援している。このためインターネットやカタログを使った通信販売だけでなく、バザーや学園祭や生協祭りなどでの委託販売もおこなっている。
第二は、物を捨てないで海外協力に役立てるステナイ生活のすすめとして、書き損じたハガキ、使用済みテレホンカード、未使用の切手、音楽CDやゲームソフト、商品券・ビール券、着物などを集めている。また同じ主旨で古本を集めるステナイBookもはじめている。
書き損じたハガキ40枚か、もしくは使用済みテレカ900枚あれば、バングラデシュで簡易トイレ1基を設置することができる。
第三には、バングラデシュとネパールの駐在員やゲストを招き、全国で講演会やワ-クショップを開いている。2003年は10月と11月の二ヵ月で、東西に2人が分かれ約60ヵ所もまわっている。
第四には、現地の情報を盛り込んだ教材を製作し、小学校での総合学習や、地域における生涯学習などの場で活用されている。また、現地のプロジェクトを訪ねるスタディツアーや、小学生を対象にした「わくわくカレー交流」、中高生を対象の「ユース・フォーラム」なども開催し、子どもたちへの働きかけをおこなっている。
第五には、一人でも多くの人たちにバングラデシュやネパールの現状を知ってもらい、地球市民として何ができるのか共に考えるため、企業や行政、社会福祉協議会、国際交流協会、労働組合、生協などとの協働をすすめている。
こうした取り組みにより、毎年2億円近い資金を使い、財政規模では我が国におけるNGOで25番目にもなっている。それも継続して安定した活動をするため、政府などからの補助や助成金の割合をおさえ、自分たちの力で確保する自己財源率の下限を75%にして実践しているからすごい。
最後に坂口さんから生協への期待を話してもらった。
「生協もシャプラニールも、生活者を相手にしていることでは同じですから、生協が地域へ目を向けているのと同様にバングラデシュなどの世界にも注目して欲しいものです。ギリギリの生活の中でお互いが助け合って活動しているショミティと生協の組合員さんが交流すれば、きっと生協の原点に触れることができるでしょう。
また生活に密着した商品の開発で、生協のすすんだ力を活かしてもらえればありがたいですね。共生は、海外だけでなく国内でも私たちシャプラニールのキーワードです」
生協とシャプラニールのお互いが発展するためにも、双方で学ぶことがいくつかあるようだ。
連絡先 特定非営利活動法人シャプラニール=市民による海外協力の会
〒169-8611 東京都新宿区西早稲田2-3-1 早稲田奉仕園内
事務局長 坂口 和隆
℡ 03-3202-7863 fax 03-3202-4593
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