住所:茨城県取手市井野4417-1
e-mail:ichiro429nishimura@msn.com
Blog:西村一郎活動日誌

当サイトは私西村一郎のルポ及び著作物、ボランティア活動等の紹介ページです

地震と雪にも負けずに

    ―新潟中越地震と各生協の取り組み―

                 2005.4.21

              財団法人 生協総合研究所 研究員 西村一郎

・  雪の長岡を訪ねて

上野駅から上越新幹線を使って約80分、目指す長岡に着く。2月上旬の長岡は、例年にも増して雪が多く、車窓からの風景は一面の厚い銀世界に覆われていた。

長岡駅の構内には、縄文中期を代表する火炎土器のレプリカが展示されている。大きな土器の口の周辺に、炎のように大胆な装飾を施している。いつ見てもその迫力に圧倒されるが、炎の形の目的は不明だし、その後に忽然と形がなくなったことも古代史の謎のままである。もっとも火炎土器が生産されたのは今から5000年近く昔のことであり、謎が多いからその頃の事を自由に想像できる楽しさもある。

そもそも長岡の地名の由来は、信濃川の左岸から見て、長い丘陵があったとの説が有力だそうだ。その長岡の地名が最初に文献へ現れるのは、慶長10年(1605年)のことである。

幕末維新期には戊辰戦争に巻き込まれて戦火が町中を覆ったが、教育を重視する「米百俵」の先進的な取り組みもあって、製造業を中心とした産業都市として発展していく。

戦火は再び長岡を襲った。1945年8月1日、アメリカ軍のB29による空爆で、学童300名を含む1470名の一般市民が殺された。

そして日本一の大きな花火で有名となった長岡には、現在19万人が暮らす新潟県で2番目の大きな都市となっている。2004年10月23日午後5時56分、今度はM6.8の地震が長岡を含む中越を襲った。新潟県中越大震災災害対策本部の2005年4月19日発表によれば、死者46名、重症631名、軽傷4162名、全壊2826棟、大規模半壊1993棟、半壊10870棟、一部損壊103628棟となっている。さらには最大時の避難者103178名で、被害総額は3兆円にもなったとのことである。

交通の要でもある長岡を中心として、いくつもの生協が被災者の支援に立ち上がった。

・  県下の生協の窓口となった新潟県連

地震が発生した翌日から新潟県連では、県下の被災状況を把握すると同時に、日本生協連との連絡をとって物資支援要請を行い、10月25日には中越地震対策本部を設置した。そこでは物資と業務支援やボランティア支援も視野に入れ、新潟県の県民生活・環境部と対策本部に被災地支援の申し入れ等も行なっている。

地震の発生した当初は不慣れもあって、被災地の情報把握や行政の支援などが必ずしも充分ではなかったようだが、県連対策本部として県内にある生協との調整や、各地から応援に駆けつける人たちの窓口であるボランティアセンターや、さらには県庁や市町村の行政との連携も強めた。

こうして全国からの生協の支援を受けて、県下の生協の業務支援や避難所での炊き出し、さらには各地から各市町村に届いた救援物資を、必要な場所に届ける「横持ち輸送」などを効果的に行なうことができた。

全国の生協の仲間による支援は12月19日まで続き、この間に北は青森から南は岡山までの地域生協より車両は延べで約300台にもなった。

ところで今回の地震の対応では、岩手県・山形県・宮城県・福島県・茨城県・埼玉県・石川県などでは、生協と各自治体が結んだ協定書に基づき、各行政から被災地への支援物資や、支援におもむく職員の持っていく食料などの物資についての要請が行なわれ、災害時における生協の役割りをそれぞれ発揮することができた。

 しかし、新潟県においては生協と行政の間に災害時の協定書がなく、全て無償で行なうこととなり、今後に課題を残すこととなったが、2005年に入って協議がはじった。

 ここでは地域生協の新潟県総合生協と市民生協にいがた、そして医療分野で活躍しているながおか医療生協の中越地震に対する取り組みを紹介する。

・  新潟県総合生協の取り組み

新潟県総合生協では、いちはやく理事や役職員など関係者の安否確認をおこない、また生産者や取引先に対するお見舞いを実施した。幸なことに死亡やけがをした人はなかったが、パートを含む職員のうち、家屋の全壊2人、半壊6人、一部損壊8人が被害にあった。

地震の翌日の24日は日曜であったが、朝には新潟県総合生協の対策本部を立ち上げ、全労済や日生協への救援物資の要請など活動を本格化させている。

月曜日の25日から、可能な限り共同購入で注文のあった物資を届けようとしているが、被災地の道路は何カ所も寸断され、また苦労して家を訪ねて行っても、組合員が他の場所に避難していることもあって、予定した商品が届かなかったこともある。それでも職員は、配送業務に支障がないように必至の努力をした。道路事情が次々に変化することもあって、帰ってくるのが真夜中になることもあった。

それでも電気が止まるとか、もしくは冷凍庫が壊れたりして、冷凍品のストックができない家庭からは商品を持ち帰ったし、逆に火を使わずに食べることのできる新鮮な野菜や果物などが人気であった。

被災地にいる新潟県総合生協の組合員数は、約1万世帯である。どうにかして注文の品物を届けることと、あわせて安否確認をしていった。27日からは全国の仲間の応援も入り始め、地震のあった翌週の配達先は6000世帯であったが、2週目には8000世帯、3週目には9000世帯となり、それ以降は通常の9500世帯から9700世帯に戻ることができた。

ところで避難所の組合員に対して新潟県総合生協は、災害支援物資は届けたが、共同購入の商品を届けることは、周囲の組合員でない人の気分や感情を配慮して渡すことはしなかった。 

物資を受け取った組合員の声である。

「この度の地震の際、危険も多く道路も大変な状態の中、私どものために食料品や日用品をたくさん運んできてくださって本当にありがとうございました。食べ物があるというだけで、人間は元気になれるものだと思いました。スーパーやお店へ行っても棚が空になっていると聞きましたので、これで助かったと思いました。まだ道路が悪い中、食料品や日用品を運んでこられるのは大変だと思いますが、無事を祈っています。ありがとう!」

「地震直後から毎週配達本当にありがとうございます。長岡へ行く用があって、途中で生協の車に何台もすれ違いました。やっと通れる道を本当に大変だと思います。幸いにも私の住む湯之谷は大丈夫でしたが、堀之内、十日町、小千谷とひどい状態でした。どうか事故には気をつけて・・・・。これからもよろしくお願いします」

また県外の生協から応援してくれた仲間にとっても、貴重な学びの場となっている。

「高速道路の歪みに驚きました。行く先々に家の倒壊や危険度判定の赤紙の貼られた家屋。それに負けない組合員さんの元気な声を聞き、組合員さんに対して生協ができることを地道に行なっていくことの大切さを知りました」

他にも新潟県総合生協の取り組みはあり、全労済とタイアップした自然災害共済による給付もそうである。火災共済に加入していれば地震等による火災や損壊に対する災害見舞金が支給されるし、もちろん自然災害共済であれば被害の種類や程度に応じた保障額が出る。

新潟県総合生協の職員20名と、全労済からの応援80名が加わった100名でチームをつくり、1日に100件から200件の申請に基づき、基準に沿って審査をしていった。チームで被災者を訪ねるときは、新しいタオルを持っていって喜ばれている。

共済の給付を受けた組合員の喜びの声である。

「本日は中越地震のお見舞金をお振込み頂きまして、ありがとうございます。

お聞きすれば、調査員のかたがたは遠く四国や大阪から小千谷の田舎までおいで頂いたとのこと。転勤にて実家を離れており、小千谷の実家は年老いた両親しか居ませんでしたので、心配と不安で居ても立ってもいられませんでした。そんな中、貴組合をはじめ多くの人々の御親切と物心両面のご支援に幾度となく涙いたしました。いつの日か美しさを取り戻した我が故郷を見ていただけるよう、元気で頑張るつもりです」

「この度の地震災害に際しましては、貴生協様より多額の見舞金を御入金いただき、ほんとうに助かりました。地獄で仏の思いです。お蔭様で補修工事も目処が付きほっとしている所です。ほんとうに有難うございました」

「新潟県総合生協よりの地震災害見舞金を確かに受領いたしました。総合生協の心温まる処置に、改めて感激しております。有難いことで涙の出る程のうれしさでした。皆様の益々のご活躍とご多幸を心からお祈り申し上げます」

組合員から深く感謝される新潟県総合生協の取り組みが展開されてきた。

・  市民生協にいがたの取り組み

市民生協にいがたでは、地震当日23日の夕方7時には生協対策本部を設け、職員や組合員の安否確認、あわせて施設の損傷確認を進めようとした。しかし、停電のために事務所の電話や携帯電話も通じない状態が続き、情報の収集に苦労している。

役職員では、8名が住宅半壊以上で1名が足に怪我をし、中越センターの損壊はなかったが、停電のため3日間は冷凍冷蔵庫を使用することができなかった。

やがて対策本部の立てた方針は次の項目である。

1.    地域の震災復旧に役立つ活動を行ないます。新潟県連・日生協と連携して地域復旧を行います。

2.    共同購入の事業を通じて、復旧(および暮らしの復興)に役立ちます。

3.    共済加入者へのお見舞活動・調査給付活動を、日生協支援を受け行います。

4.    一致団結し励ましあい、生協経営の早期回復に力を注ぎます。

 この方針に基づき、全国の仲間の応援も受けて、期間中に延べにすると以下の人数による取り組みとなった。

 炊き出しボランティア支援:5生協延べ35人

 横もち物資運搬支援:30生協延べ293人車125台

 被災者ボランティア支援:6生協47人

 仮設住宅引越し支援:20生協597人車261台

 業務復興支援:理事会だけでなく、生協労連の呼びかけに応えた人も含め328人

 こうした全国の仲間からの支援の中には、みやぎ生協から「昨年私たちも全国の組合員さんから、元気と勇気を頂いた。今度は私たちが恩返しをする番です」として折り紙で作ったサンタクロースとホッカイロが届き、名古屋勤労生協からは大量の瀬戸物が届き、それぞれ被災した組合員に喜んでもらっている。

 共済については日生協共済事業センターとの連携で、全国からの支援も受け、5074回の訪問活動を行い、2204件で5452万円の異常災害見舞金を支払っている。

 そうした支援を受けた組合員の喜びの声である。

 「この度の震災直後には、皆さんも大変な時に優しい気遣いと支援を頂き、どんなボランティアよりも助かりました。小さな子どもがいるので風船が欲しいと言うと、その日のうちに共済の文字の入った風船をもってきて下さり、笑顔のなかった我が子が、うれしそうに笑っていました。あの時は、ありがたくて涙が出ました。家の片付けまでも手伝って頂き、生協さんのお陰で前向きにがんばることが出来ました。

 こんなことまでお手伝いしてくださる生協さんの無償の愛に、優しさをいっぱい頂きました。これからも生協をずーと続けていきたいと思います。ありがとうございました」

 「かわいい折り鶴も頂きました。地震でガラスや陶器の置き物は壊れたので、折り鶴を飾りました。小さい小さい折り鶴ですが、生協の職員さんや組合員さんの温かい心がいっぱいつまってますね。ありがとうございました」

 「地震があって、本当に怖い思いや、不安で不便な思いもしました。しかし、その一方で、人の優しさをこれほどまでに感じることはありませんでした。毎日殺人事件など暗いニュース続きの中で、がんばってる新潟県人や、それを支えるまわりの人々に、涙がこみあげてくる毎日でした。

 今回の地震の件で、ますます生協のすばらしさを感じました。私は生協のまわし者と近所の人から言われるほどの生協ファンです。これからも体に気をつけがんばって下さい」

 「水害や地震と大変でしたが、生協の皆様方に色々と手助けをしてもらい、大変うれしく思います。地震の際は、担当者の方が来るまで心配で心配で!!でも生協の担当者さん達の、奥さん、子ども達、親、祖父母、恋人たちは、私達が心配している以上に心配だったと思います。『どーか!宜しくお伝えください』。被災者にとっては、ある意味で1週間1回の生協さんの顔が支えだったと思います」

市民生協にいがたの取り組みが、組合員から高く評価されている。

 

・  ながおか医療生協の取り組み

ながおか医療生協では、地域で安心のネットワークを築きあげるため、医療・介護・福祉で、それぞれ専門の施設をいくつも運営して組合員に喜ばれている。

生協の診療所からわずか500mの地点で家屋の倒壊が起こり、診療所は地震の発生時から照明がついていたこともあり、数時間後には診療を希望する人が多数押し寄せ、診療所はすぐに臨時の避難所となった。また在宅の患者2名が尊い命を亡くした。

地震直後にながおか医療生協に対策本部を設置し、地震後初の週初めとなった10月25日には、医療機関の専門性を活かして以下の活動を展開している。

1.    平常診療の対応

    地震後初の月曜日です。受信される患者さんに暖かく接しましょう!

2.    在宅患者の対応

    訪問看護ステーションすまいる、及びヘルパーステーションおひさまは、昨日に続き訪問対応を第一とします。

3.    県内及び県外支援ボランティアの活動

①  市内避難所への医療相談行動:医師と看護師と職員の3人1組で市内避難所を訪問して回ります。

②  地域まるごと訪問行動:住宅地図を片手に2人1組で地域を回ります。

③  水や食料などの支給:ながおか医療生協に寄せられた救援物資を、必要な市民の方々に支給します。

④  食事係り:ながおか医療生協へ避難されている方々への朝、昼、夕食の準備や調理対応をします。

 ながおか医療生協の組合員数4671名に対して、1月13日までに訪問したのは1820名にも及び、その内被災した527名の内339名が健康などを含めて不安を持っていることがわかった。こうした被災に対してこの間の全国からの支援は、医師や看護士などを含めて延べ1572名にもおよんだ。

 以下に当時のニュースなどから、被災者の様子などがわかるものを紹介する。

まずは、健康相談会に参加した支援の医師の感想である。

「一見なんともなさそうに見える方でも、みなさん血圧が高いのです。自分でも気付かないうちに、興奮や緊張を強いられているからでしょう。また地震後1カ月もたっているにもかかわらず、片付けができないという方もおられます。『意欲がわかない』という点が気になります」

次は、11月11日に開いた「食事会&健康チェック」の様子である。

「血圧測定をしながら、ゆっくりお話をうかがいました。初めはみなさん固い表情で、地震の事を涙ぐんで話す人が多かったのですが、話をしていういるうちに次第に表情が和らいでいくのがわかりました。『今までいつ死んでもいいなんて言っていたけど、ああいう地震では本能的に逃げようと思った』という言葉が印象に残りました。みんなで話をすることが、不安を和らげていると感じました。帰り際、『お互い元気でがんばりましょうね』と握手して別れ、その時には笑顔も見られました」

最後はながおか医療生協のある職員の感想である。

 「地震後は、『自分に出来ることは手伝おう』と、いろいろな活動をしてきた。当医療生協に駆けつけてくれた大勢のボランティアの皆さんを、町内や集落に案内してお見舞いし、要望を取り継ぐ等の活動が中心となった。他の組合員さんと一緒に、食材(果物、豚汁等)の提供のお手伝いも数回することができた。

 このような体験の中で、心を打たれたことがいくつかある。まず出会った被災の当事者の方々が気丈で、苦難におしひがれることなく、事態をしっかりと受け止め、再建をめざしていることだ。高齢者では太平洋戦争や長岡戦災を体験され、思い出している方々もおられる。次にボランティアの人々の善意と奉仕精神の素晴らしいことである。(略)

 最後に何と言っても『ながおか医療生協』と友好団体、人々のネットワークの素晴らしさである。ネットワーク(支援、連帯、健康チェック、行動力、優しさと奉仕)は、物心両面で最高だった。

 自分もこのネットワークを支える一員として活動できたことに感謝している」

 医療の専門性を活かし、被災した組合員の支援をながおか医療生協は実施している。

 こうして各生協の条件をそれぞれ活かし、被災者の支援を積極的に行なって多くの組合員に喜ばれてきた。ところで、支援のいくつかはすでに終了している。しかし、雪解け水によって新たな問題が出るなどして、地域やくらしの復興にはまだ長い時間がかかる課題も少なくない。組合員一人ひとりのくらしと健康に責任を持とうとする各生協の、「細く長い」支援活動がこれからも求められているのではないだろうか。

 

| HOME | 食育(論文) | 平和・環境(論文) | 街づくり・その他(論文) |
HOMEへ戻る