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Blog:西村一郎活動日誌

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反核平和のシンボルの「被爆ハマユウ」


2004年10月3日
被爆ハマユウ・クラブ 事務局長 西村 一郎
〒302-0011 茨城県取手市井野4417-1
℡&fax 0297-74-0790
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・ 経過

1945年8月6日、午前8時15分。日本の軍都であった広島市に住む35万人の頭上で、世界ではじめての原子力爆弾が炸裂し、その年の12月末までに約14万人が殺されたとされています。市街地の上空580mで破裂した原爆は、中心の温度が100万℃という火の玉となり、あたり一面に襲いかかりました。
1つめは熱線です。爆心の地上では3000℃から4000℃にもなり、600m離れた瓦は表面が泡状となり、2kmで衣服に火が付き、3kmでも樹木や電柱などが黒焦げになりました。
2つめが爆風です。爆発の瞬間に数十万気圧となり、まわりの空気が膨張して衝撃波となって四方に走り、その後を強烈な爆風が襲いました。この爆風による急激な気圧の変化で、目から眼球が、口からは舌が、そして肛門から内臓の飛び出た人も少なくありません。
3つめは放射能です。生物の奥深くまで入った放射能は細胞を破壊し、爆心から1km以内にいた人に致命的な影響を与え、また残留放射能は救援にかけつけた人たちの命と健康を奪いました。
こうした影響から被爆した広島では、「75年間は草木も生えぬ」とさえ言われたこともありました。
ところで爆心地から東へ約2kmの地点に、市街地を見下ろす高さ70mの小さな比治山があります。当時ここには、陸軍船舶砲兵団(通称は暁部隊)の隊員1500名が駐屯し、木造や横穴の兵舎でくらしていました。その1人が兵長の尾島良平さんです。
農家出身で隊員の食事を担当していた尾島さんは、食材の買出しにでかけたとき、広島市の西にある己斐(こい)町で農業を営む橋本一太さんから、めずらしいハマユウの株をもらい、比治山の兵舎の横に植えていました。日本で自生している花びらが細く裂けたハマユウでなく、ユリのように花びらが円錐になったインド・ハマユウです。花を栽培していた橋本さんが、宮崎で手に入れたとのことでした。
この比治山も原爆の直撃を受けました。買出しに出かける直前の尾島さんは、吹き飛ばされて気絶します。胸の骨を3本折りましたが、兵舎の影にいたため幸いなことに火傷はせず命に別状はありませんでした。何人もの戦友が原爆で重症を負い、また殺されました。兵舎は跡形もなく崩れ、何本もの大木が折れています。葉をなくして立ち枯れのようになった沢山の木々が続き、その根元では羽根をなくした小鳥がピョンピョン跳ねていました。
戦争が終わり実家の神奈川県に戻った尾島さんは、療養して胸の骨折を治しました。元気になった11月に、線香を持って比治山を訪ねました。崩れた兵舎の前で、亡き戦友を偲びつつ手を合わせました。ふと見ると、瓦礫の間から細長い緑の葉が出ていました。ハマユウです。原爆で焼き尽くされたものと尾島さんは思っていましたが、新しい葉を伸ばし生きていました。さっそく瓦礫を取り除いて球根を掘り起こした尾島さんは、リュックサックに入れて実家へ持って帰りました。
庭にハマユウを植えて水を与えると、だんだん元気になり、数年後には1mほどの高さの茎へ、被爆の前のように初夏には白い花を咲かせるようになり、また周囲に新しい芽がいくつも出てきました。こうして尾島さんの家の庭には、ハマユウが沢山咲くようになったのです。
尾島さんは、この被爆したハマユウを破魔勇と書きました。原爆にも負けない力は、悪魔も打ち破るほどの勇ましさであると賞賛したのです。そして純白の花を咲かせ甘い香りの被爆ハマユウを、核兵器の脅威がこの世からなくなるまで、反核・平和のシンボルとして世の中に広げようと決意しました。
知り合いの被爆者が亡くなると、墓前に被爆ハマユウを植えました。さらには広島の平和公園、神奈川県にある大船観音の被爆慰霊碑、ビキニの水爆実験による死の灰を浴びた第五福竜丸などのもとにも運び、尾島さんは平和への願いを込めて植えてきました。
1979年に尾島さんが69歳で亡くなった後は、長男の真次さんが被爆ハマユウを守り育ててきました。1995年から被爆ハマユウ・クラブが、尾島良平さんの意思を引継いで、反核・平和のため被爆ハマユウの普及に努めています。

・ 現在
公的な場所としては、以下で被爆ハマユウが植わっています。
① 広島平和記念公園:広島平和記念資料館東館のすぐ前
② 東京都上野公園内の東照宮境内:広島と長崎の原爆の火を灯すモニュメントの横
③ 神奈川県の大船観音境内:被爆の慰霊碑の近く
④ 東京都立第五福竜丸展示館:水爆の恐ろしさを刻み込んだ第五福竜丸展示館の横
⑤ 東京大空襲・戦災資料センター:空襲で焼け野原となった地に建つセンターの一角
⑥ 沖縄伊江島の「命宝(ぬちどうたから)の家」:反戦平和の資料館の一角
 
・ これから
国連憲章を無視したアメリカの先制攻撃によって、イラク戦争は今も続いています。利権をめぐり、チェチェンやアフリカなどで武力の衝突が絶えません。世界中から戦争と核兵器の脅威がなくなることを目指し、日本の国内だけでなく、世界中で反核・平和のシンボルとして被爆ハマユウを広げていきます。
ところで日本で被爆した人は、現在世界の20カ国にも分散しているとのことです。当面は以下の国に届けるために、関係者の方たちと協議をはじめています。
① 韓国:今も約8000名の被爆者がいるとのことです。
② ブラジル:約300名の被爆者がいます。
③ アメリカ合衆国:約200名の被爆者がいます。
④ 台湾:数は不明ですが被爆者が生活しています。
⑤ マーシャル諸島共和国:ビキニ環礁をはじめとして多数の被爆者がいます。


*ハマユウは 浜木綿とも書き、ヒガンバナ科の常緑多年草。日本では関東以西の暖地の海岸に生える。初夏に咲く花は、白とピンクがある。日本に自生するハマユウは、花びらが細く裂けており、和歌では重なりやみだれる心などの形容に用いた。別名ハマオモト(浜万年青)とも言う。被爆ハマユウは、日本のものとは別の種類で、インド・ハマユウ。

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