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(財)生協総合研究所 研究員 西村 一郎
・ ピースウィンズ・ジャパンを訪ねて
東京でも若者のファッションの街として有名な原宿駅から、表参道にかけてのゆるやかな坂の大通りを急ぎ足で下って行く。カラフルな衣装に身をまとった男女が、楽しそうに明るいショーウインドウをながめている。
そうした広い通りをしばらく歩き、送ってもらった案内図にそって路地を入る。
雑誌『世界』の2001年4月号に、「モンゴルで二年連続の雪害」との記事が出ていた。日本でも寒い地方であれば、どこでも雪による害は珍しくもないが、そこの小見出しには、「600万頭にのぼる家畜の死亡が予測される」とあるほどだから、私の考えるような中途半端な災害ではない。
2ページの記事を一気に読んだ。ゾドと現地で呼ばれている自然災害は、日本では雪害と一般に訳されているが、実際には夏の日照りと冬の寒波で牧草の育ちが極端に悪く、それを唯一の餌にする家畜が大量に餓死する現象とのことである。99年から2000年の寒波で、すでに250万から300万の家畜が死んでいる。そしてゾドの連続した今年は、それ以上の家畜が影響を受けると予想されている。
そういえば、雪害を撮影するために入ったNHKテレビの職員2名が、ヘリコプターの事故で死亡したことも記憶に新しい。
あわせて社会経済の急激な変化による混乱から多数の失業者が続出し、ホームレス化した子どもが路上で生活するストリートチルドレンになっているという。
そんなモンゴルの人々を、民間レベルで応援しようとしている日本のNGOがその記事にあった。それがピースウィンズ・ジャパンである。
やっと訪ねた目的の番地には、小さいといっても3階建ての白い建物があった。1階は食堂、2階は事務所、3階はミーティングをするための部屋が中心で、資料などが各階にいくつも整理して置いてある。日本のNGOだから、マンションの一室か、もしくは小さな家屋程度をイメージしていたが、かなりの広いスペースを使っているのに驚いた。
・ピースウィンズ・ジャパンとは
まず広報担当の横山祐子(よこやま ゆうこ)さんからピースウィンズ・ジャパンの概要を聞く。小柄な女性で、テキパキと質問に答えてくれる。その自信をもった話し方がすがすがしい。
「ピースウィンズ・ジャパンの設立は1996年でして、活動としては国境を越えた難民や国境を越えない避難民の緊急支援を中心に行っています。地域としては、イラク共和国北部クルド自治区、モンゴル、インドネシア共和国、コソボ、東ティモールなどです」
5年足らずの期間で、これだけ多くの地域での活動を展開しているからすごい。それもかなり離れた国々である。当然のことながら支援する活動内容も異なっている。
横山さんの説明が続く。
「海外での活動内容は、大きくわけると緊急支援と中長期支援の2つがあります。まず、紛争や自然災害が発生したときの衣食住や医療などの緊急支援では、クルド自治区における越冬支援や医療支援、朝鮮民主主義人民共和国への食料支援、インドネシア共和国への食糧や医療などがあります。
他方の中長期支援では、クルド自治区への水道施設の建設や女性のための収入向上プロジェクト、モンゴルでのストリートチルドレンに対する職業訓練や退学者への再教育、インドネシア共和国での農業知識の普及などです」
各国の状況に応じて、現地で困っている人々の切実な要望に応える支援活動を展開している。
ところでピースウィンズ・ジャパンの名前の由来であるが、横山さんからもらったパンフレットには次のように説明してあった。
「紛争で夫を失った女性のための食糧配給プロジェクトで、イラク北部を走り回っていた時のことです。小高い赤土の丘で、車を止めて小休止をとりました。紛争は一時休止状態にあり、スタッフも久しぶりに緊張を解いてくつろいでいました。
一瞬、爽(さわ)やかな風が吹き抜けていきました。その風に誘われて目を移すと、一面に黄色い花が咲いている野原が、丘の下に広がっていました。緊張感のためか、わたしたちは春が来ていたことも気づかなかったのです。
春を告げる風は、一瞬の平和を感じさせてくれました。この体験は印象深いものになり、こうした風のような存在になりたいという願いからピースウィンズ(平和の風)と名づけました」
誰にも快い爽やかなそよ風を、ぜひ全ての人々に伝えたいという願いである。
ところで現在のスタッフは総勢27名で、その内訳は以下のようになっている。
クルド 1名
モンゴル 1名
東ティモール 1名
インドネシア 2名
東京事務所 22名
東京にいる22名の分担は、海外のプロジェクトのサポート、建築や土木技術を開発する海外事業部、経理を含めた裏方をマネジメントする総務・財務、対外的な広報・マーケティング、公平な商品流通を目指すフェアトレード、そして会員などの現地視察をすすめるスタディツアーなどがある。
そのスタッフの平均年齢は20代後半と若く、半数は修士号をもち、帰国子女や元商社員で語学は堪能である。
財政規模を聞いて私はまたもや驚いた。1999年度で8億6000万円とのこと。政府や国連関連のプロジェクト費用も含んでいるが、月々1万円の会費を払っている会員が、全国で実に2000名もいて大きな経済的な支えになっている。
私もいくつかのNGOに属しているが、それらの年会費は5000円から1万円が多い。それでも入会するのにそれなりの決断がいった。それが毎月1万円というのだから、年会費にすると12万円になる。よほどピースウィンズ・ジャパンの理念や活動に共鳴する意識の高い人たちだろう。こうした一般市民による支えがあって、今の日本におけるNGOが継続して活動する経済的な基盤ができる。
日本のNGOを紹介した最近のある本では、このピースウィンズ・ジャパンを、「いま、もっとも勢いのあるNGOとして注目を集めている」と紹介している。
その実態をもっと深く知るため話をさらに進めた。
・ ベテランスタッフの願い
スタッフの中で最年長の石井宏明(いしい ひろあき)さんは、1960年の名古屋生まれで今年40歳である。小柄な体内に、熱い思いを込めていることが話しを聞いていてよくわかった。
ピースウィンズ・ジャパンに石井さんがスタッフとして加わったのは、組織が発足して1年半ほどの97年10月のことで、まだ当時は石井さんを含めて4名しかいなかった。それ以来、今日までピースウィンズ・ジャパンを盛り立ててきたメンバーの中の一人である。
「国内のある大学の商学部を卒業し、一般の企業で6年半ほど働いていました。人事関係の仕事をしていて特に大きな不満があったわけではありませんが、このまま一生を終えていいのだろうかという疑問がわいてきたのです。
そこで再度自分の可能性を確かめるため、会社を辞めて国際政治学を勉強するためアメリカの大学に入学しました。カナダでの半年におよぶワーキングホリデーを含めて、約3年半北アメリカにいました。
その間に、地域でのボランティアに参加し、また丁度コロンブスのアメリカ大陸『到着』500年にあたり、白人に抑圧されてきたインディアンと呼ばれているネイティブ・アメリカンの主張を聞く機会もありました。
そうしたなかで、人権や差別などに私は興味を持つようになっていったのです」
日本に帰ってきた石井さんは、以前のような一般企業で働く気持ちになれなかった。そこでアメリカで学んでいたときに参加していたNGOのアムネスティ・インターナショナルに興味を持っていたので、日本支部を探して連絡をとった。アムネスティ・インターナショナルは、世界の100カ国に支部を持ち、人権擁護を中心テーマとして今も活躍している。
タイミングよくそのとき日本支部でスタッフを募集していたので、石井さんはそこに就職することができた。
アムネスティでは、国内外の関連組織との連絡や会員への情報提供などが石井さんの主な仕事であった。人権問題についての国際的な動向に触れて働きがいをそれなりに感じていたが、あくまでもデスクワーク中心の仕事に物足りなさをやがて石井さんは感じるようになる。
そうしたときに現地での活動を重視するピースウィンズ・ジャパンからの誘いを受け、石井さんは移籍を決意した。
それ以来石井さんは、支援している海外へ出かけることもあれば、東京の事務所では朝の9時過ぎから夜の9時ごろまで、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の東京事務所などとの連絡や、支援しているモンゴルやクルドなどとの連絡などで忙しく活動している。
・ クルド自治区への支援
クルド自治区はイラクの国内にあるが、イランとの国境付近に広がり、1988年のイラン・イラク戦争のときに激しい戦場となった。このため住まいや公共施設などが多数破壊され、多くの住民は生活そのものが著しく苦しくなっている。そのときの傷跡は今も残り、たとえば今日でもこの地域だけで約2000万個という地雷が埋まっているとのことである。
イラクは、国際的な経済制裁を受けて人々の日常のくらしは厳しくなっている。その中でさらにクルド自治区の住民は、地雷などで怪我をするとか農地が制限を受けるなどして二重の苦しみを今も味わっている。
96年の2月に設立となったピースウィンズ・ジャパンは、3月にまずクルド自治区に現地オフィスを設立し、家屋を破壊された避難民が集団で暮らしているひとつであるバルコスキャンプへの支援を4月には開始し、あわせてそのなかに診療所も開設した。ここでは、キャンプ周辺で診療所のない村々からの患者をすぐに受け入れるようになったし、さらにドホーク市の3つの孤児院や他のキャンプ地を、専用の車で巡回して診療するチームも発足させた。
当時の医療報告書によると、患者数の多い順に症状を並べると以下のようになる。
1, 急性呼吸器感染症
2, 貧血症
3, 皮膚病
4, 尿道感染
5, 下痢
6, 高血圧
7, 結膜炎
これを見ると、住居や衛生環境など住まい関連の欠陥から発生しているものと、栄養状態の悪さが影響しているものに大別することができる。そうした背景には、1日に2時間しか水道が出ないとか、無職で現金収入のない人にとって必要な食料や衣服を購入することが難しい現実などがある。
このためピースウィンズ・ジャパンでは、避難民の方に塩、砂糖、石けん、洗濯粉、下着などの生活必需品を配布し、さらには妊婦や子どもたちに蜂蜜やミルクなどの特別な栄養補給もおこなってきた。あわせて衛生環境を改善するため、週1回の保健や衛生に関する講習会を開催した。
・ 今も地雷の恐怖が
クルド自治区では、今でも地雷が身近な存在で、人々は恐怖のなかで暮らしている。まだたくさんの地雷が、畑などの25㎝ほど下に埋設されている。対人地雷の多くは、200円から300円ほどでイタリアなどから購入したもので、7㎏から20㎏の重さがかかると、20年近くはいつでも爆発する可能性がある。
このため地雷の埋まっている地域には、行政やNGOがドクロのマークを表示して住民に立ち寄らないよう注意しているが、少しでも自分たちの食べ物を確保したい人たちは、その危険地帯でもジャガイモや豆などの野菜を栽培しているところがある。
ピースウィンズ・ジャパンの運営している診療所には、地雷で足首を吹き飛ばされた人や、なかには投げた石が地雷の信管に当たって爆発し、右手と右目を失った子どもが治療に来たこともある。
こうしたなかでピースウィンズ・ジャパンでは、地雷の撤去中に両足をなくしたクルド人のウシアルさんを支援する「ウシアルさん義足募金」を発足させた。ウシアルさんは地雷除去の専門家で、15年間に実に5000個も処理してきた。このため地雷の恐怖がなくなって機能を取り戻したところでは、彼の業績を讃えて「ウシアル村」と呼んでいる。そうした村がクルド自治区には12もあるそうだ。
そのウシアルさんは、探知器で地雷をさがしているときに2度にわたって地雷を踏み、両足を失った。金属製は探知できるが、最近は軽いプラスチック製も多く、これは探知器にかからないためだ。
こうしたウシアルさんと通訳のクルド人の2人を、ピースウィンズ・ジャパンは日本に招待し、地雷の恐ろしさやクルド自治区への支援を各地で訴えた。96年8月のことである。
講演を終えて2人はすぐに帰国する予定であったが、イラク政府の対応が急に変化し、結局翌年の1月まで難民として日本に滞在した。
ウシアルさんの話を聞いた人は、「なぜ片足を失っても、どうして地雷の除去を止めなかったのか」という疑問をもち彼に質問する。そのときウシアルさんの答えは、「一つの地雷を除去できれば、一人の命を救うことができるから」と強調していた。
石井さんもクルド自治区の現地に入った時期がある。
「クルド自治区では、戦争孤児や戦争で夫を亡くした女性がたくさんいます。女性の働く社会ではないのですが、未亡人に収入がなければ生活できませんので、パン屋をはじめて軌道にのせることができました。他の地域では、羊を女性の協同組合に貸与し、そこから子羊を増やして収入にしていくプロジェクトもありました。
そうしたときに、文化や考え方の違いから戸惑うこともありましたよ」
この地域では、男性が専門職をもって働き、女性は家事や育児に専念することが当たり前の区分になっており、子どものころからのしつけや教育も分化している。また女性が夫以外の男性に肌を見せるのは大きな罪であると考え、診療所ですら男性の医者に診断されることを嫌がる女性が多いそうだ。
その後クルド自治区には、イランからの帰還難民の人たちが流れ込み、外国からの支援を必要とする人が今もたくさんくらしている。
・モンゴルでの支援
中国とロシアにはさまれたモンゴルは、人口が241万人と日本の2%ほどだが、国土は日本の約4倍もある。このモンゴルで1996年に発生した大火災に被災された人々の支援が、ピースウィンズ・ジャパンとモンゴルの関わりのスタートであった。具体的には120の被災家族へ、モンゴル服の冬用布地や長靴やラジオを支給した。
モンゴルで問題となっている一つは、増加するストリートチルドレンである。現在約12000人の孤児と、片親しかいない子どもが約39000人いて、そのうち約4000人が、都会の路上で暮らすストリートチルドレンになっていると国立子どもセンター統計で報じている。
そうした背景には、社会の急激な変化に伴う貧困などにより、離婚や家庭内暴力や両親のアルコール依存症が増えたりして、家庭内のトラブルが増加していることや、さらには幼稚園や学校のサービスが有料になって経済的に通学できないことがある。
ピースウィンズ・ジャパンはこうした子どもたちを集め、ホッタイル(子どもの家)と呼んでいる中古の家屋で集団生活することを支援している。子どもたちにとって必要最小限の衣食住を確保し、あわせて教育を受けさせて、ストリートチルドレンが一般の社会に戻っていくことのできることを応援するプロジェクトである。
ピースウィンズ・ジャパンが支援するホッタイルが現在3カ所あり、各家には子ども約20名とマネジャー1名とスタッフ3名が共同で暮らしている。スタッフのなかには、保母や教師の資格をもっている人もいて、交替で寝泊まりして子どもたちの世話をしている。
ストリートチルドレンのなかには、マンホールに入って地下でくらしている子どもたちもいる。いわゆるマンホール・チルドレンである。私はかつてメキシコのストリートチルドレンを訪ねたとき、駅のコインロッカーで寝起きしているコインロッカー・チルドレンを見て驚いたことがある。路上では大人から危害を受けることがあるし、また寒さから身を守るためにどちらも効果的である。
石井さんは、こうしたモンゴルにもしばらく入っていた。
「モンゴルは10月にもなれば気温が零下になりますが、ストリートチルドレンのくらしているマンホールへ入ると暖かくて、一瞬いいなと感じました。現地では、都会にある建物にセントラル・ヒーティング方式を採用し、地下道に熱湯を流すパイプが走っています。このため外で雪が降っていてもマンホールの中は暖かいし、それでも寒いときはパイプに毛布をかけ、それを抱きしめて寝ている子どももいます。
でも寝ている段ボールの近くには食べかすや排泄物がたまり、臭くてたまりません。また雨や雪を防ぐことはできますが、夏になると蚊がたくさん発生して、そのときは公園で寝ている子どももいます。政府の建物から5分ほどのマンホールでくらしている子どももいますので、事態は深刻です」
ピースウィンズ・ジャパンでは、ストリートチルドレンの支援をすると同時に、子どもが路上に出てこざるを得ない原因を絶つことも課題にしている。その根底に貧困があるので、経済的な自立を促すために、失業対策をいくつか講じている。具体的には、小さなグループの自立を支援するマイクロクレジットであったり、職業訓練をしたりしてスモールビジネスを応援している。
また現地のNGOをより発展させるため、例えば会計管理を教えるプロジェクトもある。あくまでも当事者の自立を促すというピースウィンズ・ジャパンの大切な姿勢がよくわかる。
・ NGOと行政と企業の連携を
今後の課題についてたずねると、石井さんの熱っぽい話がさらに続いた。
「私たちを含めて日本のNGOに共通する課題ですが、災害や紛争が発生したとき、いち早く現地に駆けつけて活動するための体制や資金力をもつことです。そのため『ジャパン・プラットフォーム』という組織を立ち上げ、NGOと行政と企業の連携できる場を作りつつあります」
いくつもある日本のNGOが連帯し、多額の資金や独自のノウハウをもっている行政や企業と協同し、緊急支援する組織である。この活動が軌道にのれば、我が国のNGOは大きく発展することはまちがいないだろう。
もらった資料の中に次のようなジャパン・プラットフォームの説明があった。
「NGO、経済界、政府が対等なパートナーシップの下、三者一体となり、それぞれの特性・資源を生かし協力・連携して、難民発生時・自然災害時の緊急援助をより効率的かつ迅速に行うためのシステムが『ジャパン・プラットフォーム』です。
この『プラットフォーム(土台)』には、政府の資金拠出による基金及び企業・市民からの寄付を募ることによって、緊急援助実施時、初動活動資金がNGOに直接かつ迅速に提供されるため、NGOは直ちに現地に出動、援助活動を開始できるようになります。
経済界も経団連1%クラブが中心となり、『ジャパン・プラットフォーム』を支援することを表明。これにより企業が有する技術、機材、人材、情報等の提供を受ける、いわば企業による参加型貢献が期待されます」
さらにメディアや学識経験者も協力し、関係アクターが一体となって国際緊急援助に取り組むことを意図している。
このジャパン・プラットフォームは2000年8月に発足し、すでにピースウィンズ・ジャパンを含めて17団体が参加している。
とかく日本の海外援助は経済面が中心で顔が見えないと非難されることが多いが、ジャパン・プラットフォームでの取り組みが活発化すると、NGOを中心にして欧米並の顔の見える海外援助に我が国もなることができるだろう。
ピースウィンズ・ジャパンの連絡先
〒107-0062 東京都港区南青山4-14-13
℡ 03-5775-3391
広報担当 横山 祐子
http://www.peace-winds.org
