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ブラボー実験51年目のマーシャルを訪ねて 2005.3.28
被爆ハマユウ・クラブ事務局長 西村 一郎
・ マーシャル目指し
史上最大の水爆実験ブラボー作戦から51年たった今年の2月末に、マーシャル諸島を私ははじめて訪ねた。目的の1つは、現地の被爆者と交流し、日本からの被爆ハマユウをプレゼントすることにあった。
完成したばかりの中部国際空港を飛び立ち、グアムで飛行機を乗り換え、チョーク(トラック)島など4つの島を経由してマーシャル諸島共和国の首都マジョロに着いたのは、丸1日が経っていた。日本からは、南東へ約4600kmの熱帯に位置し、29の環礁と5つの島がある。これらの島々は、飛行機の窓から見ると実に美しい。コバルトブルーの海に、椰子の葉の茂る濃い緑の細長い島が浮かび、その周囲にはライトブルーの珊瑚礁があって、それらがどこまでも数珠繋ぎになっている。
ところでこれらの美しい島や海は、60年ほど前の第二次世界大戦のときは、日本軍と連合軍の熾烈な戦いの場となり、双方で多くの軍人が血を流し、さらには軍属や一般島民たちの犠牲も少なくない。
戦後も島の苦難は続く。マーシャルにおける施政権と軍事利用権を入手したアメリカ政府は、1946年から58年まで実に67回の核実験を繰り返した。
そして1959年からは、マーシャル諸島の1つであるクワジェリンでミサイル実験を開始した。最近は、小泉内閣も参画を表明したミサイル防衛網のテストが秘密裏に行われ、アメリカ本土から打ち上げた大陸弾道ミサイルを、ここで発射したミサイルで打ち落とす実験を繰り返している。
こうしてみると日本とマーシャルは、現在も深く関連していることがわかる。
・被爆ハマユウを携えて
広島の原爆の生き証人でもある被爆ハマユウは、比治山の暁部隊に属する兵舎の庭に植わっていた。

1945年8月6日の午前8時15分。7000℃にも達した原爆の熱線で、山の木々の葉は枯れ、羽を焼かれ飛ぶことのできなくなった小鳥たちが、土の上で転がりもだえていた。数カ月後に、壊れた兵舎の瓦礫の間から、ハマユウの緑の葉が伸びていた。それを見つけた被爆者の元兵士の尾島良平さんが、大切に郷里の鎌倉へ持ちかえり育てた。原爆にも負けない不屈の生命力を愛でて尾島さんは、ハマユウを「破魔勇」とも書き、反核平和の願いを込めて各地へと株分けしていった。
大船観音の境内や、広島の平和公園、そして上野の東照宮にある「原爆の灯」横のハマユウなどはそのひとつである。尾島さんが亡くなられて被爆ハマユウを広げる動きは鈍くなった。そこで10年ほどまえに尾島さんの長男からハマユウを分けてもらった私は、畑で株を増やして機会があれば運んでいった。
これまでに私が運んだのは、第五福竜丸展示館、東京大空襲・戦災資料センター、そして沖縄は伊江島の反戦資料館「命宝の家」であり、海外では韓国、台湾、ベトナム、スリランカである。
こうして海外では5番目となったマーシャルでは、政府の持ち込み許可書の発行や空港での検疫も無事にパスし、現地の被爆者団体ERUB(核被害の大きかったエニウェトク、ロンゲラップ、ウトリック、ビキニの頭文字を並べてある)のレメヨ副会長に手渡すことができた。大切に育て、新しい株が産まれたら反核のシンボルとして、他の国の被爆者にも広げますと言っていたので楽しみである。
・現地のビキニデー
3月1日は朝から強い日差しであった。マジョロの北端に車で集合したパレードの一行は、手書きの垂れ幕や被爆のポスターなどを掲げ、クラクションを派手に鳴らしつつ、ゆっくり車道を進む。私たちは、「ヤックエ!(こんにちは)」と叫びつつ、今日の集会のチラシを寄ってくる人たちに配布した。そのチラシを見て驚いた。集会は9時からと書いてあるが、パレードが出発したのは10時で、一行が会場に着いたときは11時近かった。のんびりしたマーシャルタイムである。

ERUBの主催した集会には、マーシャルの被爆者はもちろんだし、遠くはウクライナやプエルトリコ、ニューメキシコ、ハワイからも参加者があり、日本を含めて反核を求める国際色豊かな交流となった。
ただし、運動の今後の進め方をまとめた文書や集会のアピールなどはなく、歌や踊りを交えた交流が中心であった。
それでもERUB主催の市民集会としては最初のことで、それを成功させた意義は大きい。
マーシャルの被爆者たちが、自らの意思で協力して立ち上がりつつある。放射能にさらされた人体の研究を目的としたプロジェクト4.1の存在を発見し、被爆者をモルモット扱いにしているのではないかと、アメリカ政府に抗議しているのもこの団体が中心である。
・ 日本とマーシャルの草の根的連帯を強める意義は
マーシャルにおける67回もの核実験で、多数の島民が被爆して健康上などで問題を抱え、さらには被爆二世の不安も広がっている。ところで同じ核実験で、第五福竜丸だけでなく、多くの日本の漁師たちが被爆している。被爆による病気などの治療については、共通してアメリカ政府に要求すると効果的だろう。
また核兵器をなくして平和な社会をつくる課題では、アメリカ本土から打ち上げる大陸弾道弾を、クワジェリンのミサイルで迎え撃つ実験も軽視できない。中国や北朝鮮からのミサイル攻撃を口実にし、日本の莫大な予算もここにつぎ込まれていく。
かつて第二次世界大戦で敗戦する前30年間にわたり日本は、ドイツから譲り受けたマーシャル諸島を植民地化し、人や環境などに多大な損害を与えた。その保障も充分にしないまま、たとえば1984年に来日したマーシャルの大統領に、時の総理は、「核の廃棄物を捨てさせて欲しい」との申し入れをしている。戦争中の相手の立場に立った反省があれば、広島や長崎での被爆者治療の技術を、マーシャルの被爆者に申し出てしかるべきである。ところが原発の核廃棄物を捨てさせて欲しいとの申し入れをしたというのだから、いったい日本政府は何を考えているのかと、あきれると同時に怒りすら沸いてくる。
行政の動きを監視し、反核や平和を求める市民レベルの自主的な取り組みが、日本でもマーシャルでもますます求められている。
